読書レポート:『江戸の生活ウラ事情―衣食住から格差社会の実像まで知られざる江戸の意外な素顔』について

 

『江戸の生活ウラ事情―衣食住から格差社会の実像まで知られざる江戸の意外な素顔』

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1.選定の理由
 今まで勉強した歴史は、ほぼ政治史である。政権の成立と衰亡、改革と革命、有名な政治家の政策と利害、有名な戦争と会議等々、いわゆるマクロ的な歴史である。しかし、それだけを注目すれば、往々としてある時代をステレオタイプ化する傾向が生じる。そして、その時代のイメージと異なる出来事を聞くと、驚いたことが時々あるだろう。そこで、無名な人々の日常生活や文化・科学の発達などのミクロな歴史を学ぶことが必要だと思う。
 日本近世史の授業を受ける前に、私は江戸時代のことを学んでいなかった。たそがれ清兵衛」などの有名な映画で、その時代をいささか窺ったことがあるが、何れも、武士に関することである。江戸時代は武士の時代だが、日本人全員武士ではなかった。また、戦国時代と異なり、戦はあまりなかった。平和な江戸時代では、戦わない武士と戦に被害されない庶民は一体どのような生活をしていたか、より詳しく知りたいので、『江戸の生活ウラ事情』という本を選んだ。

2.要約
はじめに
 江戸のゆたかさ、にぎわい、自由闊達さを紹介する本と、その事例として各種の史料も多いが、それはあくまで江戸の側面に過ぎない。現代と比べると、生活、教育、衛生などの水準が低く、身分制度が厳しかった江戸時代では、人々の日常生活は一体どのような様子だろうか。本書では、庶民の衣食住、身分制度、武士の実態、刑罰の理不尽などを通じて江戸のリアルな日常を見て行きたい。

第一章 意外と知らない江戸の生活、その衣食住
 江戸の人口の過半数に占める庶民と下級武士の日常生活のいくつかの側面を紹介している。
 保存手段と輸送手段が発達していなかった江戸時代では、江戸に住んでも、人々の食事は単調で質素で、栄養も足りなかった。しかし、白米を食べられるので、地方から見れば、贅沢そうだった。
 江戸の50%の人口が住んでいた町家は、江戸の土地の15%に占めるに過ぎない。庶民のほとんどは裏長屋に住んでいたので、騒音や悪臭がひどく、プライバシーが守れない環境となり、もめごとが起こりやすそうだった。
 江戸の最大の娯楽は女郎買いだった。売春に対する罪悪感はほとんどなかった。また、人身売買も珍しくなかった。
 栄養状態や衛生状態が悪く、医療水準も低くかった江戸には、脚気、伝染病と性病は蔓延していたという。

第二章 「武士道」はツラいよ!?―侍たちのリアルな日常
 武士は元々戦闘集団で、軍人とも言えよう。約250年間平和が続いた江戸時代では、多くの武士は実際に事務職を務め、公務員に相当する。幕府も諸藩もリストラをせず、武士の人数が需要より多すぎたので、ワークシェアリングをしながら最低限の給料をもらい、出世できない多くの武士は高等遊民と化していたという。250年間にわたって、物価は上昇したが、武士の給料は変わらなかった。したがって、武士階級が窮乏化していた。
 武士はあくまでも世襲の身分なので、決して強くて勇敢な人わけではなかった。平和の世で、武術の稽古をせず、一生刀を抜いたこともない武士は少なくなかった。また、無銭飲食をしたり、職場の新人をいじめたり、賄賂をしたりする武士も数多くいた。武士はみな志操高潔な人とは言えなかった。「武士は武士道に生きていた」とは、そもそも幻想である。
 また、ほとんどの藩校は江戸時代後期で開講し、しかも義務教育ではなかった。武士の子供に対する教育は基本的に家庭教育とも言える。余裕のある家の子供は寺子屋や私塾で学ぶことができる。そのため、武士の教養は個人差が大きかった。

第三章 江戸の罪と罰―いまとは全然違う刑の基準
 江戸時代の刑罰は苛酷で、死刑は簡単に言い渡された。最も重い罪は「主殺し」と「親殺し」であった。また、身分制度によって、処罰が違った。武士が町人を殺害した場合は往々にして無罪となったが、町人が武士を殺害するのは大罪だった。つまり、処罰は身分の低い者に対して一方的に苛酷となった。
 江戸には南北町奉行所があったが、隔月交代であり、地域を分割担当していたわけではない。また、それぞれには、与力25人、同心120人がいたが、実際に巡邏を担当していた町廻りの同心は、両奉行合わせても24名でしかない。治安関係の役人は少なかったが、決して江戸の治安はよかったとは言えない。連座制が適用されたので、町人は役人の介入や裁判を嫌がり、犯罪や事件が起きても寄ってたかって揉み消し、示談でおめようとした。
 また、現在司法制度と違い、江戸の裁判は奉行の裁決によるので、基準が曖昧で、時々大岡裁きができる。

第四章 江戸の格差社会が生み出した悲喜こもごも
 江戸時代は現在とは比較にならないくらい露骨な格差社会だったという。
まず、士農工商という身分制度があった。武士階級の窮乏化は進んでいたが、庶民、特に商人の生活水準は向上していた。庶民に対してぜいたく禁止令がしばしば出された。ぜいたくは身分不相応として罰せられた豪商もいた。
 次に、貧富の差が大きかった。娘を女郎として売った人がいれば、吉原で豪遊する大名や商人もいた。下級武士の生活はほとんど庶民と変わりがなかったが、農業、商売など身分にふさわしくない仕事をしないので、多くの武士は借金だらけになった。
 更に、社会保障がなかったので、住む場所も収入もなくなった浪人は、また武士の身分に囚われ、生活がなかなかできなかった。

3.評価
 この本は江戸の都市生活を注目し、江戸時代の基本的な様子を紹介している。著者は、「江戸は豊かだ」という誤解と過度な美化を正すつもりで、庶民と武士(特に下級武士)の貧しい日常生活、不公平な司法制度と格差社会を説明している。それとともに、武士道を強く否定している。また、著者は主に『我衣』『兎園小説余録』『甲子夜話』『世事見聞録』『風俗通』などの同時代の出版物及ぶ個人の日記を史料として、例を挙げている。一次史料が多いので、信頼性が高いと思う。
 気になるのは、伝染病、性病が蔓延しているそうだったが、病院などの施設や医者の人数、いわゆる江戸の医療水準について、著者は詳しく説明していない。